大判例

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東京高等裁判所 平成3年(ネ)3627号 判決

控訴人

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

大口昭彦

被控訴人

乙山花子

右訴訟代理人弁護士

嘉村孝

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和六三年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  控訴人のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、第二審を通じて、その二分の一を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

五  この判決は、控訴人勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被控訴人

本件控訴を棄却する。

第二  事案の概要

本件は、控訴人とその妻である甲野良子(以下「良子」という。)が、良子が第一子を死産したのは助産婦として良子の分娩の介助に当たっていた被控訴人の責任であるとして、被控訴人に対して提起した損害賠償を求める訴訟(浦和地方裁判所川越支部昭和六二年(ワ)第二号損害賠償請求事件、以下「別件訴訟」という。)の口頭弁論期日において、被控訴人のした原判決別紙記載の一及び二の供述(以下「本件供述」という。)が控訴人の名誉を毀損したと主張して、控訴人が被控訴人に対して慰藉料の支払を求めたところ、原審が右請求を棄却したので、控訴人が控訴した事案である。

以上のほかは、原判決の「事実及び理由」中「第二事案の概要」一ないし三に記載のとおりであるから、これをここに引用する。

第三  当裁判所の判断

一  名誉毀損となる事実の有無について

まず、被控訴人のした本件供述が、控訴人の人格的価値についての社会的評価を低下させ、控訴人の名誉を毀損したものと評価できるか否かについて検討する。

甲第一号証ないし第四号証、第六号証、第九号証及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(1)  控訴人と、その妻である良子は、昭和六二年二月一七日、良子が第一子を死産したのは助産婦として良子の分娩の介助に当たっていた被控訴人の責任であるとして、別件訴訟を提起した(争いはない)。

(2)  別件訴訟において、控訴人及び良子は、被控訴人が良子に対して医師の診断を受けるように指示すべき注意義務を負っているところ、これを怠った過失により胎児を死亡させた旨主張したのに対し、被控訴人は、良子らに対して医師の診察を受けるように指示したにもかかわらず、良子らが自らの判断で、右指示に従わなかったものであるから、被控訴人には注意義務違反はない旨主張した。

(3)  被控訴人は、昭和六三年一一月一〇日、別件訴訟の第一一回口頭弁論期日における本人尋問において、控訴人に対して医師の診断を受けるよう指示したか、控訴人はこの指示に対してどのような応答をしたかの点につき、本件供述をした。

(4)  右供述の趣旨とするところは、概要、①昭和五九年一月七日夕方ころ、被控訴人は、同人の営む助産院(以下「本件助産院」という。)を訪れた控訴人に対して、胎児の生命に危険があるといけないから、医師の診断を受けるように指示した、②控訴人は、右指示を受け入れず、死産になってもいいから、被控訴人方に置いて欲しい旨述べて、お辞儀をされてしまった、③控訴人の右の態度に接した被控訴人は、通常は嫌われ、被控訴人も使うのを控えた死産という言葉が親である控訴人の方から口に出されたのであっけにとられた、死産という言葉は使いたくない、書くのも嫌だから、というものである。

右認定した事実に基づいて検討する。ある表現行為が、他人の名誉を毀損するものであるか否かを判断するに当たっては、当該表現行為がされた具体的状況において、通常の注意力を備えた一般人が、当該表現行為から、どのような印象を受けるかを基準にすべきである。

このような観点からみていくと、通常の注意力を備えた一般人が本件供述を聞いた場合、控訴人は、自己の考えに固執して本件助産院における分娩を望むあまり、死産という通常嫌われる言葉を敢えて使用してまで、胎児を死に追いやるような危険な方法を採ることを望む非人間的な考えをする人間であるといった印象を受けるものということができる。特に、被控訴人は、本件供述をするに当たり、心から母子の安産を願うのだが死産という悲しい結果が万が一生じてもやむを得ないとする切羽つまった親の気持ちを表現するということをしないで、「死産」という表現を使う人間は非人間的であるというように取られる厳しいコメントを同時に付して、控訴人への強い非難をしており、そのことが、右の印象を強める役割を果たしているといえる。本件供述は、控訴人に対する人格的価値についての社会的評価を低下させ、控訴人の名誉を毀損する事実の摘示された供述であると評価することができる。

これに対して、被控訴人は、本件供述は、これを聞いた一般人に対し、控訴人が、いわゆるラマーズ法による分娩を希望しているとの印象、あるいは、控訴人が、被控訴人を信頼し、医師に不信感を抱いているとの印象を与えるのであって、それを超えて、控訴人が人命を軽視するような冷酷な考えの持ち主であるという印象まで与えることはないので、本件供述は、控訴人の名誉を毀損するものではない旨主張する。しかし、本件供述は、前後二回にわたって、前記のような特徴をもって、詳細かつ執拗にされているものであって、前記判示に照らし、被控訴人の右主張は採用できない。

二  違法性について――その一

被控訴人は、本件供述は、被控訴人方のいわゆるラマーズ法による分娩に控訴人が固執したとの点を強調する趣旨でされたものであって、この程度の表現は、訴訟における一方当事者の正当な防禦活動として、許容される範囲内のものである旨主張する。確かに、当事者主義を採用する我が国の民事訴訟においては、当事者に攻撃防禦の方法を尽くさせる必要があり、そのため、仮に、強調された表現が選択された結果として、他人の名誉感情が害されることがあるとしても、場合によっては許される範囲内のものとして、正当性を有することもあり得よう。しかし、そのような理由から、法廷における供述について、多少強調した表現が許されると解することができるとしてもなお、本件供述の前記のような特徴に照すならば、その許容範囲を超えているものといわざるを得ない。また、被控訴人は、別件訴訟において提出した陳述書(甲第九号証)において、控訴人の言葉を聞いて、被控訴人自ら「あきれて言葉がでなかった」、「言語同断である」、「鬼のような父親である」という印象を受けた旨記載していることに照すならば、被控訴人が本件供述をした趣旨は、被控訴人主張のような趣旨も仮にあったとしても、それにとどまってはいないものと認めるほかはない。被控訴人のこの点の主張も採用できない。

三  違法性について――その二

以上のとおり、本件供述は、控訴人の名誉を毀損する事実を摘示したものということができるから、右供述をした被控訴人は、特段の事情のない限り、違法な行為をしたものとして、不法行為責任を負うことになる。ただ、法廷において陳述する当事者は、法令上の義務として真実を陳述しなければならないものであるから、訴訟上の攻撃防禦として必要であって、かつ、真実を述べる陳述である限りにおいては、たとえ右陳述によって他人の名誉を毀損する事実が摘示された場合であっても、法令に基づく正当な行為として違法性を阻却し、不法行為の責任を負わないものというべきである。このように解さないとすれば、司法作用は大幅な制限を受け、正義の実現を困難ならしめることになるからである。しかし、このように、訴訟当事者の陳述が、民事上の責任に関して、制度上、ある程度の保護を受けるべきであるとしても、それは、右のように、その陳述が真実である限りにおいて妥当することであり、虚偽にわたる事実を陳述するような場合には(結果として真実と違う陳述をしたとしても、陳述者が、それを真実と信じ、かつ、そう信ずるについて無過失である場合を除く。)もはや法令に基づく正当な行為ということはできないのであって、違法性は阻却されず、陳述者は、右陳述によって、他人の名誉を毀損する事実が摘示されたことによる不法行為責任を免れないものと解するほかはない。

そして、この場合、他人の名誉を毀損する事実を陳述した被控訴人に、当該陳述の中で摘示された事実が真実であること(又は、前記趣旨で無過失であること)についての立証責任があると解すべきであって、この点の立証がされていない以上は、被控訴人は、違法な行為をしたものとして不法行為責任を負わなければならない。

そこで、右の観点から、被控訴人のした本件供述において摘示した事実が真実のものと認められるかについて、検討する。

前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(1)  良子は、昭和五八年ころ、被控訴人方において、診断を受け、妊娠が確認された後、分娩法の指導を受けながら、定期的に被控訴人の診察を受けていたが、昭和五九年一月七日には、分娩準備のため入院し、その際、良子の夫である控訴人も、良子の出産に協力するため、被控訴人方に来院した。

(2)  別件訴訟において、被控訴人本人は、本件供述をし、その内容の要旨は、前記のとおり、被控訴人が、出産に協力するために被控訴人方を訪れた控訴人に対して、医師の診断を指示したところ、控訴人は、右指示を受け入れず、通常嫌われる死産という言葉を使用し、そうなってもいいから被控訴人方に置いて欲しい旨述べて、お辞儀をされてしまった、というものであり、これに対し、控訴人本人は、被控訴人からそのような指示を受けたこともなく、控訴人が、そのような発言をしたり、態度を採ったことはなかったと供述している。本件供述で指摘された時期、場所において、控訴人及び被控訴人を除いて、右事情を直接知っているものはいない。なお、甲第四号証(被控訴人作成の診察簿)には、本件供述と同趣旨の記載部分があるが、右診察簿は本来の助産録としては余分な記載が多いこと、当時作成されたものにしかみられない特徴もないことなどに照らして、右記載どおりの事実があったものと考えるには疑問があるし、また、本件供述の真実性を補強することができるということにもならない。

右の事実経緯及び本件供述の内容自体並びに弁論の全趣旨に照らし、本件供述において指摘された事実が真実であったと考えることには疑問が生ずるし、本件全証拠によっても、右事実が真実であったと認めることはできない(なお、被控訴人は、当審において立証活動をする予定がある否かについて、当裁判所から釈明を求めたのに対して、何ら立証活動をする予定はない旨明言しているところである。)。また、右事実が客観的真実と合致しているかは別として、被控訴人において、右合致があると信じたこと、信じたことについて過失がなかったことのいずれについても、これを基礎づける具体的事実を認めるに足りる証拠はない。

以上のとおり、被控訴人のした本件供述には、控訴人の名誉を毀損する事実が摘示されているところ、右摘示された事実が真実である(又は、前記趣旨で無過失である)との立証がされていないのであるから、本件供述を法令に基づく正当な行為として、違法性を有しないものと解することはできず、被控訴人は、違法な行為をしたものとして、不法行為責任を免がれないものというべきである。なお、本件供述の内容自体に照らし、助産婦として、少なくとも通常人の判断力を有する被控訴人は、本件供述をするに当たって、その内容が控訴人の人格的評価を低下させるものであることを十分理解していた又は十分理解することができたというべきであり、この点について、被控訴人には、故意ないし過失があったということができる。

四  損害について

被控訴人の本件供述によって、控訴人が名誉を毀損され精神的苦痛を被ったことは明らかであるから、被控訴人は精神的苦痛を慰藉すべき義務があるところ、右苦痛を慰藉するための慰藉料としては、本件不法行為の態様その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、金三〇万円をもって相当と解する。

第四  結論

以上のとおり、控訴人の本訴請求は、金三〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六三年一一月一〇日から民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める限度において正当であるから認容し、その余は理由がないから棄却すべきであり、これと異なる原判決を取り消して、右のとおり判決することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官伊藤滋夫 裁判官飯村敏明 裁判官宗方武は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官伊藤滋夫)

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